
2009年、広告代理店に新卒入社。2013年より漫画アプリ「GANMA!」の立ち上げで漫画編集者として活動。その後、キャラクター・アニメのIPライセンスビジネスへキャリアを広げ、日本発コンテンツをグローバルへ展開。2024年1月、ヘラルボニー入社。現在はアカウント事業部シニアマネージャーとして、戦略設計やビジネス開発を幅広く手がける。
「編集者の仕事は、クリエイターの才能を価値に変えること」——
漫画業界でその信念を培い、エンタメの第一線で15年にわたりキャリアを積んできた國分さとみ。2歳の娘が発達障害と診断されたことをきっかけに、人生の軸が大きく動き出す。
独自の感性や表現に惹かれ、共に歩んできたクリエイターたちへの深い敬意。そして、当事者家族としてのリアルな社会へのまなざし。その両方の視点をもつ彼女が、いまヘラルボニーで挑むのは「福祉と創造性」を接続させ、新たな産業の地平を切り拓くこと。
彼女が捉える娘の存在、そしてビジネスの原点について聞いた。
発達障害の娘と、漠然とした未来を抱えて
転職のきっかけと、ヘラルボニーを知った経緯を教えてください。
2歳の娘が「知的障害を伴う発達障害」と診断されたのが転職の大きなきっかけですね。当時、2020年でした。小児科の先生から「お母さん、発達障害って診断書に書いていいかしら?」と聞かれた時のことは、今でも鮮明に覚えています。
なんて答えればいいかわからないのに、涙が止まらない。人生で一番難しい問いだと思いました。娘が成長するにつれて特性が強く出始め、繋いでいた手を振りほどいて車道に出たり、公園で遊具の順番待ちができずに癇癪(かんしゃく)を起こしたり。家族でのお出かけは夢のまた夢。買い物、外食、電車移動など社会に接する機会が猛スピードで減っていきました。
転職を考え始めたのは、「これから子どもが自立して生きていけるのか?」という漠然とした不安からでした。未経験だけれど、就労支援の事業などに自分が関わってみれば、お互いに未来が開けるのかなと思ったんです。
そんななかでへラルボニーに出会ったと?
そうなんです。ある就労支援会社の面接で不意にへラルボニーが話題にあがったんです。最初は「なにその会社?」という感じでしたが、それがヘラルボニーとの出会いでした。
帰りの電車で検索したら、「異彩を放つ作家」と呼ぶアーティストのライセンスビジネスを手掛けていることを知ったんです。私がこれまで関わってきたビジネス領域で、直観的な相性の良さを感じました。何よりも「スターを生み出す」という思想が輝いて見えた。この仕事ならキャリアを活かして、一緒に未来をつくることが両立できる。そう思い、すぐに応募しました。
ヘラルボニーの面接で印象に残っていることはありますか?
娘のことをたくさん聞かれましたね。聞かれたというか、共有し合ったような感覚に近いかもしれません。私はそれまでの転職活動で「子どもに障害があります」なんて一言も話したことがなかったんですよ。言ってしまうとマイナスに映る、フルタイムで働けなくなる可能性があると思っていたんです。チャンスを失うんじゃないかと。
でも、ヘラルボニーは違いました。障害のある家族のことを話せるんだと。まさに慣れない自己開示のようで。ヘラルボニーでは「これは自分のアイデンティティとして、身体の中心に据えていいのだな」と気づかされました。

才能とお金を繋げる
現在の國分さんの役割と仕事で大切にしているポリシーを、教えてください。
現在はアカウント事業部のシニアマネージャーとして、戦略設計、組織マネジメント、業績管理、顧客対応まで、幅広く携わっています。
私のキャリアの軸となっているのは「才能とお金を繋げる」ということ。これは2013年に漫画アプリ「GANMA!」の立ち上げに関わった時に形成された考えです。
当時、新参のIT企業が伝統ある漫画業界に参入することで、多くのハレーションもありました。ただ、世の中には既存出版社の枠に収まりきらない漫画家たちもたくさんいて、なかなか自分でお金が得られない現実に直面していたんです。彼らがきちんと自活して、漫画だけで生きていける環境を構築することに、やりがいをもって仕事をしていました。
私も「編集者はクリエイターの才能をお金に繋げるのが仕事だ」と教えられて育ちました。担当した漫画家の月収が100万円を超えた時の喜びは今でも覚えています。携わるビジネスが大きくなれば、その還元が必ず戻り、優れた才能が生まれ続け、競争力になる。そんなビジネスを自信を持って世の中に提案し続けること。これが私の働くコンセプトでありポリシーです。
作家家族という「先輩」
異彩を放つ作家と関わるなかで、印象的だったことはありますか?
大分県に住んでいて、親子でアート活動をしている藤田望人さんという作家の方がいます。とても印象的だったのは、親御さんに「天才って呼ばれるのが嫌なんです」と言われたことですね。「絵は20年続ければ上手くなる。続けること自体が努力で、それを“才能”だけで片付けてほしくない」と話しをされていて。その言葉が強く心に残っています。
最初から絵がうまい人なんていない、と?
そうです。もちろん外から見たら「天才」と呼ばれることであっても、作家本人は日々の延長線上でしかないんです。一歩一歩、一日一日と、地道に続ける努力の先に、視界がパッと明るくなる瞬間がきっとある。私自身、娘との日常のなかで、たとえば保育園に通わせるだけでも、多くの人と関わりながら環境を整える必要があると実感しているのですが作家や作家のご家族の話を聞くとものすごく勇気をいただいて、「自分も頑張らないと!続けないと!」って思えるんです。だからこそ彼らの存在は、私にとって「人生の先輩」のようにも感じられるんです。本当に頭が下がります。
目指すは、新たな産業創出
最後に、國分さんがヘラルボニーで実現したいことを教えてください。
私にとって、ヘラルボニーでの仕事は「新たな産業を生み出す試み」だと思っています。 決して簡単な道ではありませんが、既存のIPビジネスの枠を超え、日本発でヘラルボニーにしかできないグローバルに通用するビジネスに挑戦し続けることで新しい可能性を広げていけると信じています。
そして、この挑戦には当然ですが前例がないので答えがありません。つまり、前例をつくれる最前線に立ち、素晴らしい仲間とともに“答えがない良質な問い”に向き合い続けられること自体が人生においてとても有意義だと思っています。日々、自分の哲学や常識を揺さぶられ、目の前には難題だらけですが、それをやりがいとして実感できるのは、仕事をするうえでとても幸せなことだと感じています。
また、ヘラルボニーは、企業との共創に加え、学校や行政などさまざまな分野と連携しながら事業に取り組んでいます。そうしたマルチセクターでの仕事を通じて、「社会をどう見つめるか」や「構造をどう変えていくか」といった広い視点が自然と養われてきました。これは、一般企業に身を置きながらも、社会を動かす「スイッチの押し方」を学べる稀有な環境だと感じています。これも「新たな産業を生み出す試み」につながる話ですね。
國分さんのお仕事は、結果的に娘さんが生きる未来の環境づくりにもつながる気がしました。
私には「娘が自分を否定せずに、自分らしい職業選択ができる社会を見せてあげたい」という願いがあります。ヘラルボニーでの仕事を通じて、グローバルに「人間の意識変容に挑む」という“マクロなビジョン”と、娘という“最もミクロな存在”の幸せを同時に見つめていたい。この二つは矛盾せず同時に実現したいものです。ありのままの自分で、のびのびとチャレンジできる世界がもっと広がってほしい。
「たとえば、ヘラルボニーが運営するカフェで働くのもアリじゃない?」そんなふうに、娘と未来の話を笑ってできる日常があること。そんな社会や場所を、自分の仕事を通じて増やしていけたらと思っています。ヘラルボニーでの日々の挑戦は、私にとって、その未来に近づくための一歩でもあるんです。

2009年、広告代理店に新卒入社。2013年より漫画アプリ「GANMA!」の立ち上げで漫画編集者として活動。その後、キャラクター・アニメのIPライセンスビジネスへキャリアを広げ、日本発コンテンツをグローバルへ展開。2024年1月、ヘラルボニー入社。現在はアカウント事業部シニアマネージャーとして、戦略設計やビジネス開発を幅広く手がける。