MY ISSUE / 015

みんなで幸せをシェアする
瞬間をつくる

安藤奈穂 広報室

広報室所属。新卒で営業職を経験後、きょうだい児としての原体験をきっかけに2022年ヘラルボニーに入社。入社以来、各事業部の広報を担当し、現在はコーポレート広報やブランドPRなど、社内外の発信を幅広く担当する。

2022年の入社当時からアカウント事業部やリテール事業部、アート事業部など各事業部の広報を担当。現在はコーポレート部門にまで領域を広げ、広報という立場からへラルボニーを社会に届ける安藤奈穂。

3姉妹の末っ子として生まれた安藤は、2番目の姉がレット症候群という指定難病の障害があり、きょうだい児として育った。姉との思い出や障害との向き合い方の変化、そしてヘラルボニーへジョインする経緯は自身が書いたnote「私は私であることに意味がある」に詳しく綴っている。

自分と同じように、“きょうだい児”と言われる人々が生きやすい社会をつくりたいと語る安藤は、どんな思いでヘラルボニーの広報を4年間務めてきたのだろうか。

みんなの笑顔が生まれる瞬間

入社から4年間、一貫して広報を務められてきたなかで、もっとも手応えのあったPRアクションを教えてください。

一番印象に残っているのは世界の異彩を放つ作品が集う国際アートアワード「HERALBONY Art Prize 2024」ですね。このアワードは、障害のあるアーティストを対象にしているのですが、広報として関わるなかで、いろいろと考えさせられることが多くありました。

たとえば、「障害がある」とはどういう状態を指すのか、本当にそれを証明したり区分けしたりする必要があるのか?そもそも“障害”は、線引きするべきものなのか?という問いに直面しました。日々、アーティストのみなさんと向き合うなかで、その定義の曖昧さや違和感に何度も立ち止まらざるを得なかったんです。

社会的に曖昧なことを自ら定義することには一定のリスクが当然ありますが、最後は「アーティストのみなさんにとって、このアワードがどうあるべきか」という判断軸ですべてを決断していきました。社内でもさまざまな議論が展開されましたが、企業としてもまた一歩成長する機会になったと思いますね。

実際、アワードの授賞式はいかがでしたか。

とても印象的なものでした。受賞作家がスピーチをしたり、ステージに立って挨拶をしたり、それぞれが「自分らしく」いられる空気があったんです。関係者や参加企業の方々も、その「あるがまま」を大切にするヘラルボニーらしい雰囲気を一緒につくってくださいました。

自身の広報やPRとしての役割以上に、あの瞬間、あの空気をつくれたことに、幸せを感じましたし、やってよかったなと心から思いましたね。

安藤さんが広報として心動かされる瞬間とは、どんなときなのでしょう。

さまざまありますが、一番は作家さんが活躍する舞台をつくる一助になれていることです。

たとえば作家さんのご家族にメディア掲載のご相談をすると「これ、前に本屋さんで見かけた雑誌に、うちの息子の絵が載るんですね!」と連絡をいただいたり、テレビの特集に取り上げられた際に「テレビ観ました!すごく嬉しいです!」と感謝の声をいただいたりすることがあって、そういう瞬間が本当に励みになります。

先ほどのアワードに限らず、ポップアップイベントやライブペインティングなど、規模に関係なく、作家さんを中心にその場が広がっていくとき。作家さん、ご家族、社員、メディア、関係業者のみなさんなど、いろんな人がひとつの空間でつながり、笑顔が生まれるんですよね。

その“みんなで幸せをシェアしている”感覚が、私にとってはとても大切なんです。

姉妹、それぞれのアプローチ

どんなきっかけでヘラルボニーに入社することになったんですか。

漠然とですが「もっと先が見えない環境に身を置きたい」という気持ちが強くなっていました。前職が従業員数も多く、安定した会社だったこともあり、スタートアップのようなワクワクとヒリヒリが共存するような環境に身を置きたかったんだと思います。

また、障害のある姉と一緒に育ってきたなかで、「何か力になりたい」という思いはずっと心のなかにありました。就職活動のときも、姉のためになることができたらと考えたことはあったんですが、当時の私は「障害福祉」の仕事に対してどこかで「自分には向いていないかも」という思い込みがあったんです。

新卒入社した会社は確かに楽しかったものの、どこかに「いつか福祉に関われたら」という気持ちがあって。そんなとき、「こういう会社があるよ」と紹介してもらったのがヘラルボニーでした。それまで名前も知らなかったのですが、調べてみると、障害福祉を扱いながらも業界の枠を越えて、社会全体に働きかけるような活動をしていて。「え、こんな会社があるの?」と衝撃を受けたのを覚えています。

その瞬間、「ここだ」と直感しました。自分のなかでモヤモヤしていた「姉のために何もできていない」という気持ちや、「自分らしく働ける場所を探している」という想いが、全部つながった気がして。いろんな企業を比較したわけではなくて、ヘラルボニーだけを見て決めたんです。

振り返ってみても、すごく運命的な出会いですね。

そう思います。障害のある姉は、残念ながら私がヘラルボニーに関わる前に他界してしまいましたが、きっと喜んでくれていると思います。

また、実は一番上の姉は医療系の記者をやっているんです。姉妹それぞれ違う形で、真ん中の姉(障害のある姉)と過ごした経験が仕事の選択にもつながっている部分があるなと思うんです。姉とは「なんか不思議だよね」と笑いながら話すこともあります。結果的にそれぞれのやり方で、それぞれの立場から彼女と向き合っているんだなと。

歴史や先人たちから続くバトンを次世代へ

ヘラルボニーを通して伝えたいこと、実現したいことはありますか。

すごく小さなところから言うと、私自身と似たような立場で生きてきた人たちが、少しでも生きやすくなってくれたらいいなと思っています。

私はきょうだい児として育ってきたのですが、障害のある家族を持つ人たちは自分の気持ちを吐き出せる場所がなかったり、相談できる相手が少ないように感じます。。そうしたなか、ヘラルボニーという存在が少しでも心のよりどころになれたらいいなと思っています。

実際、私自身もヘラルボニーに入ってから、心がふっと軽くなる瞬間がたくさんあって、それがすごく救いになっています。だから今後も、広報やPRという立場から、同じような思いを持つ人の気持ちが少しでも軽くなるような発信をしていきたいです。

最後に、安藤さんが広報/PRとして、この社会に証明したいことを教えてください。

最近よく思うのは、「これまで社会と向き合い、戦ってきた先人たちの努力は、決して間違っていなかった」ということを、私たちの行動で証明したいという気持ちです。

たとえば私自身の親をはじめ、障害のある当事者の方やそのご家族の多くは、今よりもずっと生きづらかった時代に、差別や偏見と向き合いながら、自分たちや家族が少しでも暮らしやすくなるようにと、声を上げ、行動しつづけてくれました。

「ヘラルボニーってすごいよね」「福祉の未来を変えてくれる存在だよね」と今でこそ言っていただけることが増えてきましたが、それは私たち自身がすごいわけではありません。そう言っていただける背景には、これまで福祉や障害をめぐってたくさんの人たちが積み上げてきてくれた歴史と土壌があるからこそ、だと思っています。

その土壌の上に、今の私たちが立たせてもらっている。バトンを受け取って、次の世代に向かって走り出している。そして、そのバトンを落とさないように、ちゃんと未来へと渡せるように、いまこの瞬間を全力で走りきりたい。私たちの存在が、少しでも社会が良い方向へ進んでいる証になればと願っています。

未来はもっとよくできる。そう信じて、これからもヘラルボニーの一員として、自分にできることを一つひとつ積み重ねていきたいと思っています。

安藤奈穂 広報室

広報室所属。新卒で営業職を経験後、きょうだい児としての原体験をきっかけに2022年ヘラルボニーに入社。入社以来、各事業部の広報を担当し、現在はコーポレート広報やブランドPRなど、社内外の発信を幅広く担当する。

MY ISSUE

へラルボニーのメンバーは、多様なイシューを持ち日々の仕事に向き合っています。一人ひとりの原体験や意志は、社会を前進させるポジティブな原動力に変わります。