
大学卒業後は印刷会社海外営業・事業企画部門で多言語・海外メディアパートナーシップに従事、その後アートオークションハウスの日本法人にてオークション関連業務に携わる。家族の都合で幼少時はアメリカで過ごし、結婚後はインド・中国に駐在帯同しての社会人復帰。日本画家の祖父の影響で幼少時からアートが身近。へラルボニーアートプライズの事務局やギャラリー運営を含む、全社における作品取扱の整備に従事するアート事業部のマネージャーとして活動中。
海外生活が長く、企業勤めを13年間離れていたという槙野涼子。
復帰の場として選んだのは、アートと福祉の世界を切り拓くヘラルボニーだった。幼少期を過ごしたアメリカでの体験、印刷会社での海外営業、アートオークションの現場で培った経験。そして何より、芸術家だった祖父の著作権をめぐる原体験が、槙野をこの道へと導いた。
2024年の入社以来、アート事業部のマネージャーとして「作家と作品を守る」というミッションを掲げ、ライセンスの根幹を支えるアートの公正な取り扱い体制を築いてきた槙野。ヘラルボニーが契約する作家との真にフェアな関係性を追求しながら、世界への挑戦を支える彼女に、その覚悟を聞いた。
13年のブランクを力に変えて
ヘラルボニーに入社するまでの経歴を教えてください。
2024年9月に入社し、ちょうど1年が経ちました。ヘラルボニーにジョインする直前までは、家族の都合でインドと中国に長く駐在員として帯同していました。実は会社員としては13年ぶりの復帰となり、毎日が刺激的です。
大学卒業後は、大日本印刷で海外営業や企画に携わり、その後サザビーズジャパンでアートオークションの世界に従事しました。印刷会社のライセンスに関わる経験と、アートビジネスの世界の両方を経験したことが、今回の参加に繋がっていると感じています。また、父方の祖父が日本画家だったこともあり、幼い頃からアートが身近な環境でした。
13年間の間に、ご自身のキャリアへの考え方に変化はありましたか。
最初のインド駐在の際は妊娠中だったこともあり、まずは慣れないインドでの生活を家族で健康に乗り切ることが最優先でした。キャリアは一度横に置いておくスタンスでしたね。正直、ずっと働いていたので、急に「主婦」になることへの葛藤もありましたが、ポツポツと翻訳の仕事をしたり、ジュエリーブランドを運営したりと、人生経験としては様々なことに挑戦できました。キャリアに対する焦りはありませんでしたね。
大学で国際経営学を学ばれた背景には、幼少期からの経験が影響しているのでしょうか。
あると思います。幼少期にアメリカで過ごした後、日本のインターナショナルスクールに通っていたこともあり、アメリカ人でも日本人でもない、「サードカルチャーキッズ」としてのアイデンティティの揺れがありました。
校長先生から、「あなたは二つの文化のブリッジになるポジションだ」と言われたことがありました。そこから、「企業が海外に行く、もしくは海外の企業が日本に来る。何にしても、何かしらのブリッジに関わっていくだろう」という気持ちがあり、国際経営学を選びました。
そのように多様な文化に触れるなかで、ヘラルボニーの思想に繋がるような「違和感」を覚える原体験はありますか。
北京に駐在していた時、子どもが通っていたインターナショナルスクールに、障害のあるお子さんがクラスにいました。その子のことを先生が、「みんなより『好き』が強い子なんだよ。だから一つのことをみんなより強くやりたいって思うから、みんなと違うことをするんだよ」と説明していて。その言い方も、それを素直に受け取る子どもたちの姿も、すごく良いなと感じました。
ところが、日本に帰国し、近所の公立小学校で養護学校との交流会があった際、クラスの子がぽろっと「私、普通で良かったって思いました」と言ったんです。「え?」と驚いて、私は咄嗟に「普通って何?」と聞いちゃったのですが、その質問が来るとは思っていなかったから、その子はポカーンとしていて。先生も特にそれを取り上げるわけでもなく話が終わってしまったことが、すごくモヤモヤとした経験として残りました。両国の学校を通して、寛容性や意識の違いに直面したんです。

作品と作家を「守護する覚悟」
多くの選択肢があるなかで、なぜヘラルボニーに入社を?
知人にヘラルボニーを紹介してもらったのがきっかけです。入社を決めた最大の理由は、「未来が見えた」からかもしれません。
「未来が見えた」ですか?
はい。社会の理不尽に真正面から挑む、情熱に満ちた仲間たちと出会い、心が動きました。また、福祉だから選んだというよりは、自分のこれまでのキャリアとヘラルボニーの目指す方向に高い親和性を感じたからです。ボランティアではなく、ビジネスとして対等に向き合い、両方が良い結果に繋がるというヘラルボニーの姿勢が、自分の価値観と一致していました。
特に共鳴した「思想」は何ですか。
行動規範として掲げる「誠実謙虚」という価値観など、シンプルですが大事なことを押さえている会社だなと感じました。そして、アーティストとその作品を「フェア」に扱いたいという思いです。先ほども触れたように、実は祖父が画家だったのですが、20年前に亡くなった後も、その作品が印刷・販売され続けています。
本人は喜んでいたのですが、著作権や印税に関する権利関係が、現代の視点から見ると手放しになってしまっている。そのリアルな体験を知っているからこそ、作家や残されたご家族がモヤモヤを抱えないような、公正でフェアな体制があったらいいという思いが、ヘラルボニーの思想とピタッと重なりました。福祉的な意味合いよりも、作家とアートの関係性を大事にしたいという思いが強かったですね。
現在、ヘラルボニーでアート事業部のマネージャーとして、どのような役割やミッションを担っていますか?
アート事業部は入社当時、ようやく形になりかけていた部門でした。私の役割は、アートという会社の軸と、それに関わる人・モノ・環境を、明日へ向けてより良く整えていくこと。
CAO(Chief Art Officer)の黒澤浩美さんが、全社ミーティングでおっしゃっていた 「関わる作品と作家を、守護する存在でいましょう」という言葉が、今も印象に残っています。 その想いを礎に、ヘラルボニーでは 「作品を大切に、正しく扱い、守る会社でいよう」という価値観を社内に根づかせることから取り組みを始めました。
現在は、作品管理の体制整備、契約に関する法務チームとの連携など、 アートを守るための仕組みづくりを着実に進めています。煩雑になりがちな作品の出し入れやお預かりしているインベントリーの管理など、アートに対する取り扱い方法、認識を全社的に高めるための活動です。
美術史に残るアクションを
「ヘラルボニーに入ってよかった」と思えた、最も印象的だった瞬間を教えてください。
二つあります。一つは「HERALBONY Art Prize」です。展示の壁が立ち上がり、作品がすべて壁にかかった瞬間、審査で選ばれなかった方も含めて、どれだけの人たちがこの作品たちに人生をかけているかという思いが込み上げ、「ここまで来たね」と素直に安堵した瞬間です。
もう一つは、契約を結んだばかりの作家に、「ヘラルボニーとしたいこと=夢」を書いてもらったときのことです。その場にはご両親や先生も同席しており、大きな期待と温かいまなざしのなかで、作家が実現させたい想いをページいっぱいに綴っていました。その姿を目の当たりにして、「この想いを生涯付き合っていく覚悟で受け止めなければならない」と、心が引き締まったんです。彼らにとって、私たちが一時的な存在であってはならない。この一枚の瞬間から、すべてが始まっているのだと感じた瞬間でした。
ヘラルボニーにこれから入社する人に、槙野さんだからこそ伝えたいことはありますか。
ヘラルボニーの「ファン」で終わらず、自分の軸を持った「育む人」になってほしいと思います。私たちが目指すのは、“ヘラルボニー”という看板がなくても、「この作家知ってる?」と検索して探してもらえるような、個々の輝きを世界中に押し出していくことです。
ヘラルボニーのブランドを支えるには、ヘラルボニーという看板がなくても、自分の信念で動ける人でなければ、いつか心が折れてしまうかもしれない。ご自身の軸とヘラルボニーの思想がブリッジ(橋)となるような形で、関わってほしいですね。
最後にヘラルボニーで達成したい夢や目標を教えてください。
大きな夢ですが、美術史に「ヘラルボニーの動きがあった」と刻まれることです。既存の枠に収まらないアートとして、「アール・ブリュット」や「アウトサイダーアート」と並ぶ新しい価値の潮流を生み出せたら、本当に熱いと思います。
具体的には、日本の作家を海外に紹介して世界中にファンを広げることと、逆に海外の作家さんを発掘して日本にも発信していきたいですね。福祉的な観点は、そっと横に置いて、純粋にアートに惹かれて人が集う、そんな心踊る場所をつくっていきたいんです。アート業界ではまだ挑戦的な試みですが、海外チームやご一緒できる方々と連携しながら、作品の力と、作家や支える皆さんとの関係性を軸に、世界へ挑む。
それが、私の描く次のステージです。

大学卒業後は印刷会社海外営業・事業企画部門で多言語・海外メディアパートナーシップに従事、その後アートオークションハウスの日本法人にてオークション関連業務に携わる。家族の都合で幼少時はアメリカで過ごし、結婚後はインド・中国に駐在帯同しての社会人復帰。日本画家の祖父の影響で幼少時からアートが身近。へラルボニーアートプライズの事務局やギャラリー運営を含む、全社における作品取扱の整備に従事するアート事業部のマネージャーとして活動中。




















